シリコンバレーで一般的に「良い」とされる投資契約書についてどのように「良い」のか。起業家という視点から考えてみたい。
シリーズA標準的で公平なタームシートとはどのような内容なのか
シリーズAのラウンドにおいてバリエーションが交渉できる
当たり前ですが、評価額は当事者の交渉によって決められます。
シリーズAにおいては一般的にリード投資家が20%の株式を取得することを希望します。
一方で、その価格設定は交渉当事者によって柔軟に変更されるため、
標準的な契約書において固定してしまうのは難しいでしょう。
そのため、今回の標準的な投資契約書においては空欄としてあるようです。
会社支配に重要な議決権について創業者の支配権を認める
一般的に創業者が有利なのは当然に支配権を保持している必要があります。
シリーズAにおいて創業者が支配権を失うケースでよくあるのは、
創業者2名、投資家2名、独立取締役1名となってしまい、
取締役会においてクビを言い渡されることです。
また、契約書に記載されていない個別の条件で、
経営上の意思決定を決める際に必ず投資家側取締役の承認が必要とされている場合がある。
例えば、
- 予算の策定
- 役員の雇用・解雇
- 事業のピボット
- 新規事業
のような経営における大きな意思決定と考えられる事項において、
投資家側取締役の承認が必要とされとすると以下のような問題点があります。
これらの権利は、投資家の利益になるように行うためには必要とされますが、
外面的な正当化は投資家がリスクから離れるために必要な口実を与えてしまいます。
パートナーとなるキャピタリストが長期的に支援することを口約束していても、
ベンチャーキャピタルの方針や事業の不透明性が高まる場合にどうなるかはわかりません。
1倍以上の残余財産分配優先権・優先参加権が規定されていないこと
残余財産分配請求権は「優先株」をもつすべての株主が持つ権利です。
株式会社は残余財産の分配について内容の異なる2以上の種類の株式を発行することができます(会社法第108条1項2号)。
簡単に言えば、この時に与える「倍率」が1倍以上となると投資された資本以上の資産を、
請求する権利を投資家に認めることになります。
これは、複雑なしくみのように感じますがベンチャーファイナンスにおいては、
もっとも交渉論点となるポイントの一つになっています。
まず、前提としてその名の通り「優先株」は普通株式に「優先」して分配を受けます。
そしたら、投資家として一番いい取り決めとしてはこうなります。
優先株を持つ株主(投資家)は、普通株式を持つ株主(多くは創業者)に先立ち、1株につき○○円支払う。
これは投資家は圧倒的有利です。これを「参加型」といいます。
逆に「優先株を持つ株主には、残余財産を分配しない。」としてしまえば投資家不利です。
(ありえませんがこれを「非参加型」といいます。)
これはどちらかが有利になってしまうので、一般的にはどちらも使われません。
よく使われるような記載は以下のとおりです。
優先株を持つ株主に対して優先分配金が分配された後に普通株主へ残余財産を分配するときは、優先株を持つ株主は優先株式1株当たりにつき、普通株式1株当たりの残余財産分配額と同額の残余財産の分配を受ける。
上記において「優先株を持つ株主に対して優先分配金」が分配される時、
残余財産の分配は優先されても、普通株と同額とする場合、
これを「1倍の残余財産分配優先権」といいます。
2倍の財産分配優先権を保つ場合は、投資金額の2倍の分配金が優先的に分配されます。
なぜ、投資家は「優先株」を求めるのでしょうか?
一般的にIPOの場合はどんな株も市場で公開されることで「普通株式」になります。
実は、投資家は企業価値を求める際、様々な情報からIPO時の株式価値を算定することで、
リスクに応じた割引率に割り戻して株式価値を算定します。
じゃあ、なぜ優先にこだわるのか。それは途中解散やM&Aされる場合の扱いのためです。
途中で精算してしまったり、どこかにM&Aで買収されてしまうとなると、
これは投資家にとっては当初予定されていたシナリオではない時点での売却となります。
つまり、実現予定であった企業価値が少ない状態にってしまうのですから、
初期にリスクを取って優先権を持つ株主の取り分を多くすべきという気持ちはわかります。
一方で、リスクを痛み分けするという点ではバリエーションに反映されるべきであると
Y Combinatorの場合は考えているようです。
ベンチャーに対して累積型の配当権が規定されていないこと
累積型の配当権というのは、毎年配当金が決められた額に満たない場合、
その不足額を、翌年度以降に繰越するという権利です。
一般的には初年度が赤字であるベンチャー企業が配当金を支払うことは不可能です。
この場合決められた配当に満たないということで翌年、配当を2倍支払う必要があります。
このまま計算するとどうなるでしょうか。
例えば1株100円で10万株1000万円の投資を受けたとして、累積型配当権を認めて、
毎年3%の配当を定めたとします。なお、配当は行えず、その他の事情は変わりません。
年度 | 1年目 | 2年目 | 3年目 | 4年目 | 5年目 | 6年目 |
配当金 | 30万円 | 30万円 | 30万円 | 30万円 | 30万円 | 30万円 |
累積 | 30万円 | 60万円 | 90万円 | 120万円 | 150万円 | 180万円 |
つまり、常に資金調達を必要とするようなスタートアップ型のビジネスモデルの場合、
最初にシードとして1000万円の調達をした場合、累積型配当権を認めると、
6年目にはすでに実質的には180万円の負担になります。
現実的に1000万円の投資は1年以内に使ってしまうことが多いですから、
ラウンドを重ねて前の契約を踏襲した場合、将来的に非常に大きな負担になります。
これは、創業者にとっては圧倒的に不利であり、かつIPO後に
普通株式への配当が事実上困難になることから株価に影響を与えたり、
最悪、株式公開にも大きな影響が与えられる可能性があります。
IPOをすることが確実となれば投資家側もこうした条項に頼ること無く、
優先株を普通株に転換して、通常の売却益を取ればよいと考えることはできるのですが、
多くはIPOに至るまでに成長するかどうかは不透明であり、
創業者としては「潰さなければ負けない絶対に負けられない賭け」に近いものになります。
その他保障面での権利がタームシート上で制限されていること
原文では「Warrant Coverage」と記載されています。
これはつまり、その他の創業者の権利保護についての記載項目になります。
例えば、希薄化防止条項、創業者の株式譲渡に関わる第一先買権及び協働売却権、
登録権、比例参加権、情報請求権を有するとします。
またリード投資家に対する弁護士費用として3万ドルを上限とするなどの規定があります。
アメリカでは投資における弁護士費用を企業側が支払うのですね。
この3万ドルというのは安いのでこれまで会社負担の場合、意外と重かったはずです。
日本の実務上でシリーズAのタームシートはどうなってるのか?
タームシートで議論すべき論点は経産省の報告書が参考になる
今回は「投資契約書」としていますが、契約書はあくまで最終的な決定事項を書き連ねるものであり、実際の決める内容は「タームシート」と呼ばれるシートで整理されていきます。
このタームシートで議論される内容は各社様々ですが、
「優先株などの種類株式を発行し、複数の投資家が参加する」場合に用いられます。
主に、「投資契約」「株主間契約」「財産分配契約」の3つの契約書を結びます。
先ほど取り上げたY CombinatorのシリーズAタームシートというのは、
これらすべてを網羅した上で、極めて簡潔にまとめたものになります。
実務的にはタームシートでまとめられた事項を、3つの契約書の形で取り交わします。
日本でもこのタームシートの概念が普及し始めており、
経産省からの報告書においてタームシートの例が上げられています。
とても参考になりますのでぜひ創業者の方々は参考にしてくださいね。
平成 29 年度グローバル・ベンチャー・エコシステム連携強化事業
(我が国におけるベンチャー・エコシステム形成に向けた基盤構築事業)
我が国における健全な ベンチャー投資に係る契約の主たる留意事項 http://www.meti.go.jp/press/2018/04/20180402006/20180402006-1.pdf
日本のベンチャーキャピタリストの視点から見るタームシートの重要性
日本でもこのY CombinatorのシリーズAタームシートが注目されまして、
現役のベンチャーキャピタリストからもTwitter等ではコメントが出ています。
先週、YCがシリーズAの標準タームシートを公開しました。非常にシンプルにまとめていて、彼らとしての業界への提案のようにもなっています。これを簡単に解説したツイートが軽くバズったのですが、日米では会社法やベ… #NewsPicks https://t.co/gcYbnDq6uE
— Yohei Sawayama/澤山陽平 (@yohei_sawayama) 2019年2月3日
タームシートで決めることがあまりにも多すぎると、活動を縛ることにもなります。
「インパクト」という視点から見れば、短期的な回収には目をつむる必要もあります。
しかし、現実としてベンチャーキャピタリストも多くは自らの資金を運用しているわけではないのですから、どうしても数年単位で実績を出す必要が出てきます。
創業者としてはそうしたお互いのおかれている状況を把握した上で、
自らのビジネスモデルが有効かどうか、社会への影響力がどれほどあるのか、
自分のクビを絞めずに、生活していくことが可能か多角的に考えないとダメです。
タームシートも市場によってはかなり大きなリスクを背負うことになりますので、
すべての事業に対して条件を揃えることは事実上不可能であることを、
創業者も投資家も深く理解しないとマネーゲームに近くなり、人生を狂わせます。
日本におけるシリーズA調達のタームシートの実情
日本でY Combinatorの提案したものほど創業者側に経ったタームシートがあるのか、
実際に経験したことがないので聞いたことが多くはありません。
一方で、シリーズA以前の投資においては、シンプルな契約書という点においては、
日本では大抵の場合、投資契約書は普通株による極めてシンプルな条件ですので、
創業者が混乱することはまずないと思います。
おそらくですが、日本のシリーズAで提示される条件は、
今回Y Combinatorが提案したシンプルなタームシートで前提とされているものより、
一部条項については創業者に不利な規定がされていると思います。
例えば「残余財産分配優先権」などについては、
日本のリスク回避的な性格から言えば投資家有利な条件を求められる可能性があります。
一方で日本でシリーズAを調達するベンチャー企業というのは多くはないことを考えると、
創業者がかなり強気で交渉しても資金の出し手はたくさんある状況が多いと思います。
まずはシリーズAでしっかり調達できるくらい魅力のある事業にする。
これが先ですね。(極めて自戒)
最後に「健全なベンチャー投資に係る契約の主たる留意事項」と題された、
経済産業省の報告書に非常に印象に残る一文がありましたので引用します。
ベンチャー投資において投資家と発行会社は、共に世に無い新しい事業を創り出すため のパートナーである。しかし、立場が異なるため、時として意見の相違が生じることもあ り、その意見を調整し事業を推進していくために投資契約等が必要となる。適切な投資契 約等を締結することは、健全な投資の促進とベンチャー企業の成長につながり、投資家と ベンチャー企業が共創し、共に発展し合える世界を切り開くために重要な存在である。