アントレプレナーシップに関する心理学研究について
アントレプレナーの心理学についての論文レビューの続き
起業家精神(Entrepreneurship)研究は米国にて盛んに研究されている。今回は2014年に「Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior」に投稿された論文をご紹介している連載の第4回である。
Michael Frese and Michael M. Gielnik, The Psychology of Entrepreneurship, Annu. Rev. Organ. Psychol. Organ. Behav. 2014. 1:413–38
本論文では既存のアントレプレナーシップの心理学についてのレビューを実施している。主に発表されている起業家精神に関する研究のメタ分析である。
今回は起業家の「実践知」と「楽観主義」について紹介する。
アイデアの実現性や成功を信じるためには、楽観主義が必要である。その一方で、楽観主義は、特に予測不可能で非常に複雑な状況においては、過剰な拡大や欠陥のある予測につながるため、否定的な結果をもたらす可能性がある。
実践知(Practical intelligence)
実践知の構造が注目されている(Baum&Bird 2010, Baum et al. 2011)。実践知とは、「知ること」と「行うこと」を含むものであり、起業家の経験に基づくスキルや暗黙知、およびこれらのスキルや知識を起業家のタスクを達成するために適用する能力を反映している。
この構成要素は、「ストリート・スマート」と考えることができる(Baum & Bird 2010)。Baumらは、実践的知性が起業家の行動を通じてベンチャー企業の成長にプラスの効果をもたらすと主張している。
実践知は、成功が証明されているアイデア、プロセス、オペレーションパスに関する知識を包含しているため、起業家が迅速かつ正確な意思決定を行うのに役立つ。また、ライバルに先んじて迅速に行動し、予期せぬチャンスを掴んだり、新しい技術を採用したりするためのスキルや知識も備えている。
さらに、実践的な知性は、プロセスや製品・サービスの革新など、ビジネスを向上させるための行動を常に行うことを可能にする。実践的知性は、事業コンセプトを継続的に改善するために、実験、テスト、修正を繰り返すことを促進する(Baum & Bird 2010, Baum et al. 2011)。
したがって、実践知は、市場の変化に対応するために迅速かつ柔軟な行動をとり、より高いベンチャー成長率を達成するための重要な予測因子である。これらの議論を裏付けるように、実践知は、ベンチャー企業の成長に直接的な影響を与えるとともに、複数の改善活動とその迅速なパフォーマンスを予測することが研究で示されている(Baum & Bird 2010, Baum et al. 2011)。
実践知については確かに存在すると考えている。しかしアントレプレナーシップの心理学的研究において「経験」との違いが曖昧であることにすこし困惑した。
経験においてプラスの効果を発揮するものが実践知であり、マイナスの効果を発揮するものがバイアスと定義されるのであろうか。この点についてはさらなる先行研究の深堀りが必要である。
起業家の中には社会人経験、学位等経営上有利に働くであろう知識や肩書がなくとも事業創出に成功している人もいるが、自営業や個人商店、中小企業には一定数いるものの、新しい産業を生み出し、上場企業となるような会社を作り出す起業家といえる人材の多くは実践知に加えて必ず別の武器を備えているだろう。
また、実践知を経験から学んだスキル、知識であり、かつ実行に活かす知識であると捉えるならばどのような起業家も必ずそのような知識を持ち合わせているはずである。ビジネスを向上させるための施策も、必ずしも実践知から生じるものだけではなく、外部知識と自己の経験に基づく知識の組み合わせとして実践されると考えている。
自信過剰/楽観過剰の認知バイアス(Cognitivebias of overconfidence/overoptimism)
複数の研究者が、起業家と非起業家・経営者を区別する要因として、認知バイアスを挙げている(Baron 2004, Busenitz & Barney 1997)。認知バイアスとは、迅速な意思決定を支援する認知メカニズムのことである(Busenitz & Barney 1997)。
認知バイアスは、起業家が時間や認知資源に過度の負担をかけずに意思決定を行い、その結果、新しい学習や複雑な状況に対する高い認知的要求にもかかわらず、行動可能な状態を維持できるというポジティブな機能を持っている。
しかし、認知バイアスは、人々があまり合理的でない意思決定を行い、利用可能な情報を割り引いてしまうため、エラーにつながる可能性もある(Simon & Houghton 2002)。アントレプレナーシップにおいては、自信過剰・楽観過剰という認知バイアスが注目されている。
自信過剰とは、起業家が自分の能力を過大評価することであり、特に、正確な予測を行うこと、他者と比較して高い能力を持つこと、成功することなどを意味します(Koellinger et al.2007)。過剰な楽観主義(または楽観的バイアス)は、起業家がポジティブな結果を期待したり、成功の可能性が高いと認識したりする傾向を指す類似の概念である(Baron et al.2012, Cooper et al.1988)。
自信過剰・楽観過剰の興味深い点は、起業プロセスにおけるその役割が議論されている。一方では、起業家が直面している不確実性を考慮すると、自信過剰/楽観過剰は起業行動を開始するために必要である(Cassar 2010, Simon & Shrader 2012)。
その一方で、自信過剰・楽観主義は、起業家が戦略的なミスを犯したり、多くのタスクを引き受けたりして、結果的に過剰になってしまうため、有害な影響を及ぼすと主張する学者も存在する(Hmieleski & Baron 2009)。
どちらの視点にも、理論的な裏付けがあります。モチベーション理論では、結果や能力に対する期待値が高いほど、パフォーマンスに正の関係があるとされている(Van Eerde & Thierry 1996)。したがって、自信過剰や楽観主義は、高い失敗率や低い期待収益のもとでも、起業家の行動開始や継続の動機を高める可能性がある(Cassar 2010, Simon & Shrader 2012)。
さらに、起業家は、起業の過程で多くの挫折や障害に直面しますが、自信過剰・楽観過剰は、感情的・認知的な回復力を高め、課題に対処するのに役立つと考えられます(Hayward et al.2010, Hmieleski & Baron 2009)。対照的に、プロスペクト理論(Kahneman & Tversky 1979)は、認知的バイアスが、欠陥のある決定や最適でないパフォーマンスにつながる可能性を示唆している。
アントレプレナーシップの領域では、自信過剰/楽観過剰という認知バイアスが、起業家の戦略に関連するリスクに対する認識を低下させ、非現実的な目標を設定したり、最適ではない意思決定を行ったり、曖昧な情報を有望な機会と解釈したりする可能性があると主張している(Hmieleski & Baron 2008, Simon & Houghton 2002)。
その結果、新規市場への過剰参入、新規プロジェクトへの過剰投資とコミットメントの拡大(資金のつぎ込み)、資源の保全の失敗などが起こる可能性がある。さらに、自信過剰や楽観主義は、起業家の予測にバイアスをかけ、競争力を過小評価したり、製品やサービスの需要を過大評価したりする可能性があるという(Simon & Houghton 2002)。
起業家に楽観的な認知バイアスがなければそもそもそれをやらないだろう。自信過剰であるからこそ起業という一歩を踏み出せる。
認知バイアスは迅速な意思決定を支援するための認知メカニズムであるが、起業にはかならず見えないリスクが多数存在しており、それらに対して適切に対応し、乗り越えることは起業家にとって日常茶飯事である。
起業家の自信過剰や楽観主義によって、戦略的ミスを犯したり、多くのコミットを引き受け、結果的に本人や会社の重荷となる可能性は常にあるものである。
それらが当然、有害な影響を与えるのだが、そもそも楽観的でなければ事業を始めないのであるから、そのリスクは常に内包されているものであり、大切なことは、その起業家がもつ認知バイアスから生まれる行動に対して、一声掛けられる牽制人材(参謀)の存在である。
起業家という特質上そのバイアスは原動力となるため必要である。社会においてそのくらい自信がある人間は極めて稀であり貴重である。社会としてはその力を活かしつつ暴走しないよう、行き過ぎにストップを加える参謀との絶妙なバランスこそが必要である。
ハイリスクな事業や期待収益が低い事業であっても、起業家が志を持って取り組むからこそその事業に挑戦する人が存在し続ける。
ここまで論文をレビューしてきて、起業家と経営者の違いについて、言語的には定義づけることができたと感じているものの、実際に日々もがいている事業家としては、起業家と経営者を分ける活動はどこにあるのかについて、極めて微妙なバランス、タイミング、進路によってその違いが分けられていることにも気づいた。