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さて、このブログをどうしようかと考えた

ブログの終わり、知識の再構築

このブログはもともとはてなで匿名で書いては放置してきたブログを、自分が起業したことと、Wordpress引っ越しを契機にリニューアルしたものです。

特に目的は無かったのですが、あまりに適当なことを書き散らしていたので戒めのためにも「起業やマネジメント」についてのブログと称してリニューアルさせました。

そういいつつも、何を書いて良いのか考えてしまう人なので、テーマを決めてもちゃんと書くことができないんです。更新も不定期なのですがそこそこアクセスがあったので放置してきました。

ところが今月に入りGoogleの検索アップデートにより2週間位前にくらべてアクセス数が半分以下に減ってしまったんですね。あのイケダハヤトもブログアクセスが減ったそうです。

SEO専門家ではないので原因はわかりませんが、この影響を受けた人の多くは「ただのブログ」ではないかなと思ってます。ただのブログというのは「確かに情報発信はしているけれども知識が体系化されてないもの」です。

こうした、情報が構造化されてないただのブログはますます検索流入が減ると思います。

知識の洪水が置きている現代において、インターネット上の情報は人間の知覚能力を遥かに超えてしまっています。そんな中、専門家でもなく、中立でもなく、見やすくもないサイトは淘汰されていく運命にあると言えます。

僕がユーザーだったら間違いなくそう思いますし、これからは知識を体系的にまとめられる人が高い価値を持つようになるはずです。

誠実な商売ってなんだろうか

僕がブログを始めた2005年頃はライブドアブログが全盛期でした。大したことない記事を書いても毎日かなりのアクセスがありましたし、その頃からアフィリエイトは全盛期でした。

今、インターネット上に正しい情報があるか、ないかという観点から言えば、2005年当時よりもよっぽど今のほうが情報の正確性や客観性がある記事が増えたということは間違いありません。

効果がないものを効果があるように言って売るのは詐欺です。正しいことを言っている情報を「お金持ちになる方法」として売るのはグレーなのでしょうかね。

脂肪吸引してスリムになるのは、たとえ後々のリバウンドを引き起こす可能性があるとしてもそれはホワイトなのでしょうか。

「思っていたのと違った」なんてことはよくあるのですが、予め説明を受けてから購入したのであれば詐欺にはなりません。しかし、情報不足や根本的な原因を修正しなければ思っていたとおりの結果はでません。じゃあ何を持って「正しい」のでしょうか。

占い師や未来予想屋さんは「消費者がそれを占いであると分かっていて購入している」から普通にセーフだと解釈されるのですが、事前に「これはあくまで占いです」とか言われたら冷めてしまいます。

科学的根拠はないけれど、なんとか農業に真剣に取り組んでいて、支持を集めて自主的に応援して購入してくれていた。これは普通の商売です。

一方で、経済合理的に考えると保険会社や銀行マンおすすめの商品なんて買う人はいないはずですが、そうなっていないのは「その商品だけの魅力」では売れないからです。ある意味煙に巻いて買ってもらうのですからグレーにも思えます。

何を持って誠実で正しいと言えるのかは単純にその取引を見ただけではわかりません。明らかに「騙している」というのでなければ多くのビジネスは相対で合意があれば成立します。

どんなに消費者が賢くなっているといったとしても人間には情がありますし、知覚能力の限界がある以上完璧な判断や合理的な判断はできないという事実を前にして、誠実な商売とはなんだろうか「それがなぜ許されているのか」考えると面白いです。

インターネットで何を見るかによって価値観が変わる

今回のGoogleの検索アルゴリズムアップデートというのも、要するにGoogleが良いと思ったコンテンツを作っているサイトを上位表示させるということです。

つまり、日常的に検索を使っている我々はGoogleに評価されたかどうかによって人が見る情報は変わってくる。おそらくその基準にはそのサイトの情報が体系的であり、専門的であるのであれば客観性はある程度信用できるという基準があると思います。

知識が体系化されているということは論理的な構造であるということです。場当たり的な宣伝を繰り返せば、内容が互いに矛盾しますし、互いに知識がリンクしてないので書き散らしただけのチラシであることがわかるからです。

もちろん、知識は頭の中で構造化されていても、Webサイト上で構造化されていなければ利用者はその恩恵を受けることができませんので、適切なUX設計がされているサイトを作るというのは別の能力でもあります。

私はそれでも今より悪くなるとは思いません。Googleの情報が偏る可能性についてはすでに多くの人が指摘していますし、着実に「良い」情報を整理していると思うからです。

一般消費者が手に入れられる情報はインターネット普及前に比べると格段に増えました。同時にノイズも増えているので正しいと思って手に入れたものが違っている可能性も増えてしまっては意味がありません。

Googleはそのノイズである可能性をできる限り減らすために今回のようなアップデートを日々繰り返しています。その結果、検索によるノイズは今後ますます減っていくでしょう。

「消費者が全ての意思決定に必要な情報を手に入れ自らの意思で選択している」というのが理想的ですが、すべての意思決定に必要な情報を手に入れるためにはたくさんのコストが掛かります。

我々がGoogleの知能に従って情報を手に入れることも仕方ないのかもしれません。

何を書くか書かないかで情報のポジションを推定する試み

それでは情報発信側に立ったときに「情報の良さ」をどう測定すればよいのでしょうか。

インターネットに情報を提供するということは反対に「何を提供しないか」を決めることでもあります。それは情報に価値を与えるために必要な作業でありながら、我々から必要かもしれない情報を遠ざけることでもあるのです。

私が考える理想は、インターネット上にあるコンテンツを作成した人の「ポジション(立ち位置)」を明らかにするということです。もちろん、銀行がつくったコンテンツは銀行側に立っていると推測できますが、実際のコンテンツは実はかなり中立的かもしれません。

つまり、サイトごとにポジションを評価し、記事ごとにポジションを評価する二段構えになるのではないかと考えています。どの情報を書いて書かないか、ということはこのポジションを判定するのに優れた指標になると思います。

一方で、「いまだかつて明らかになっていないこと」はそもそも情報の正しさが判定できません。その際は過去の情報からそのコンテンツ作成者がどれくらい信用できるかを推定する他ありません。その後、多数の情報が集まるにつれて、何を書いていて何を書いていないかが明らかになり、情報のポジションが明確になります。

とか書いていますが、
たぶんGoogleはこうしたことをもう実装しているんではないかと思います。

さて、このブログはどうしたものか。

たとえGoogleに認められなくても、
このままゆるく行くのもありなのかと思いながら書き散らすのでした。

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