ビジネスモデル

デジタル経済とグローバル・ウェルス・チェーン|Uberの事例

グローバル・ウェルス・チェーンとはなにか?

グローバル・ウェルス・チェーン(Global Wealth Chain)とはなんだろうか?

Seabrooke, Leonard, and Duncan Wigan. “The governance of global wealth chains.” Review of International Political Economy 24.1 (2017): 1-29.

 グローバル・ウェルス・チェーンとは?

レオナードらによればグローバル・ウェルス・チェーンは、「富の創造と保護を目的として複数の管轄区域で運営される、取引される資本の形態」と定義される。

  1. 供給者と顧客の間の権力の非対称性とそれに関連する取引の複雑さの度合い
  2. 特化と多様化への推進力を含む、制度的形態を通じた金融と法律の革新へのインセンティブ
  3. 顧客と供給者の地位に応じて市場が細分化される理由、またどのような社会経済的関係が特定の方法で富の連鎖を強化するか

これらのタイプには、有利な国際税法によって規制当局から守られた単純な「既製品」から、大規模な金融機関や企業が製造する非常に複雑で柔軟性のある革新的な金融商品までが含まれる。

GWCの進化は、産業や特定のバリューチェーンにおける企業の競争力に影響を与えるだけでなく、グローバル化が進む経済活動から生じる富の分配にも影響を与え、企業戦略における法律、金融、会計への転換を捉えながら発展している(Seabrooke and Wigan 2014, 2017)。

そして、プラットフォームを活用したサービスを提供する企業は、この転換の最前線に位置している。Uberのビジネスモデルは本質的に法的な人工物である。

Uberは自動車を所有しておらず、それはつまり自社では輸送サービスを提供しておらず、当然ながら従業員もいない。これまでのビジネスモデルにおいて、これは価値を生み出すサービスの提供には関わっていないように見える。

しかし、Uberは乗り物を探している顧客と、乗り物を提供できるドライバーを引き合わせるマッチングサービスを提供しているのである。

デジタル経済という言葉の定義はある?

現代ではデジタル経済の重要性とそれが生み出す富が認識されているにもかかわらず、測定は不確実性に満ちていると指摘されている(Bukht and Heeks 2017)。

国際標準産業分類や中央製品分類では明示的にカバーされていないオンラインプラットフォーム(Googleなど)やプラットフォームを利用したサービス(Uberなど)について「デジタル経済はおろか、デジタル分野、製品、取引についても合意された定義はない」(IMF2018、p.7)」という点も議論を難しくしている。

デジタル化された経済をデジタル経済と定義するなら、すでにすべての産業はデジタル経済であろう。ここであえてデジタル経済と呼ぶとき、それはオンラインプラットフォームや、プラットフォームを利用したサービスを指している。

こうしたプラットフォームで取引される製品はAmazonに見られるように一般的な書籍や製品であることもあれば、AWSのような高度に技術的なシステム・サービスであることもある。

またGoogleが取り扱うオンライン広告であったり、Google Workspaseのような法人向けのオフィスツールであることもある。これらはプラットフォーム上でユーザー同士が売買することもあれば、オンライン上で購入したり、オンラインツールを利用する権利を購入するような取引もある。

生産性や国内総生産に与える影響についての議論は続いており、デジタル資産や活動が、世界金融危機以降の生産高や生産性レベルの大幅な低下を説明できるかどうかが議論されている(Ahmad et al.2017)。

言われてみればたしかにそうだと納得できるだろう。

しかし、これの何が悪いのかと思うだろう。時代に則した新しいビジネスモデルであって、むしろこれまでのように莫大な投資を必要としない経営効率の高い優秀なビジネスモデルであると言うこともできるだろう。

グローバル・ウェルス・チェーンとは、Uberの例に見るように法的に作られた人工物としての仕組みを活用する新しいデジタル経済の担い手である。

Uberのビジネスモデルでいうならば、規制されたタクシー業者との鋭い法的差別化により、斬新な雇用関係、有利な税務上の立場、競争上の差別化が可能になったのである。

Uberが社会の厚生を高めてるならすべて良い?

Uberは、一般人が自家用車を使ってユーザーを目的地まで有償で届けるというサービスを使いやすいモバイルアプリを軸にして提供したことで急速に普及した。

自動車を用いて有償で乗客を目的地まで届けるというサービスは、これまでタクシーやハイヤーなどのビジネスとして行われるものであって、自家用車を使って有償で乗客を乗せるサービスというのはいわゆる「白タク」違法なサービスでしかなかった。

そこに使いやすいアプリと相互評価の仕組みを持ち込んだUberは、従来のタクシーと比べても個性的かつ良質なサービスを提供するサービスを生み出した。

Uber ドライバーパートナーが提供するユニークなアメニティ トップ10

Nintendo (ニンテンドー)64: トムさん・シカゴ
Netflix (ネットフリックス): ジョナサンさん・ワシントン DC
Wifi: イスラエルさん・シカゴ
LED ライト装飾:アランさん・サンフランシスコ
マッサージチェア:コリンさん・デンバー
コートハンガー:フランコさん・ニューヨーク
ミニ冷蔵庫:アリさん・ボストン
加湿器:タチアナさん・フィラデルフィア
ホットコーヒー:エイブさん・ニューヨーク
バラの花(生花):クリストファーさん・サクラメント

https://www.uber.com/ja-JP/blog/unique-uber-driver-amenities/

しかし、Uberはそのユーザーを拡大させている一方で、ドライバーや配達員が個人事業主であり、労働者としての補償や保険を十分に受けることができないという点で批判されることも多い。

果たしてUberは社会にとってトータルでメリットを提供している存在と言えるだろうか?

タクシー業界の規制はなぜ作れたか?

そもそも、日本でタクシーが許認可事業になったのは、1920年代にタクシー会社それぞれが異なる料金設定で自由に提供していたために、利用者から苦情が来たことに起因する。

まずは大阪市という行政がタクシー業界に介入して市内統一料金にしたことに始まるという。((P-CHAN TAXI 日本のタクシーの歴史を解説!100年以上の歴史の背景にあるものとは?https://p-chan.jp/taxi/column/history#i-3))

その後も粗暴な運転や乗車拒否、不当請求など悪質なタクシーも多かったことから社会問題となり、個人タクシー制度や運転手の登録制を法制度化して現在に至る。

つまり、日本においてはタクシーという許認可事業は利益団体を保護するために始まったのではなく、利用者を保護するため、サービスの品質を高めるにあたりタクシー会社に責任を負わせる仕組みをとるために法制度化されてきたのである。

Uberのドライバーが雇用されることは望ましいか?

当初Uberはシステムを提供するIT企業であり、ユーザーが自主的に自らの車に乗りたい人を載せて、その対価としてお金を支払っているというロジックでサービスを拡大した。

また、労働時間を自由に選べることから一般的な雇用契約に基づく労働者とは異なると主張し、労働者としての権利である社会保険や労災保険等の加入は不要であると主張している。

しかし、アメリカでは従業員としてドライバーを雇用するよう、労働者としての権利を認めるよう、今なお争いが続いている。((BUSINESS INSIDER- ギグワーカーを非従業員とするカリフォルニア州条例に違憲判決https://news.yahoo.co.jp/articles/34f5ae609ab69909b73e28fb733b01a7e460e0c0))

Uberがこれまでのタクシー会社同様、運送会社としてみなされ、その運転手は従業員であるという法的判断となると会社としての成長戦略は混乱を極める。

この結果として、サービス提供者には労働者としての権利が認められる一方で、雇用主の指示の下労働に従事しなければならなくなる可能性はある。

これは利用者にとってはコスト増を意味する。それは、Uberがドライバーを労働者を雇用することで、会社に課せられる社会保険コストをサービスに添加せざるを得なくなるためである。

また、ドライバーが労働者として権利を認められるということは必ずしもギグワーカー本人にとってすべてにおいてすべてにおいてメリットがあるとは限らない。

例えばあるドライバーは求職活動中で面接に出かけることも多い。また別のドライバーはバーテンダーの仕事を夕方から夜していて、午後の時間は比較的自由であったりする。

こうした人々がUberでドライバーとして自由な時間に仕事をしていたとすれば、その時間に働けるということに対してかなりの満足感を得ているであろうことが考えられる。

しかし、もしUberの労働者として認められれば、例えば会社が労働時間を1日8時間労働として、それが法の範囲内であれば、その時間内雇用主の指揮命令に従う必要がでてくる可能性は考えられる。

もちろん、歩合制のような仕組みをつくることもできるが、その場合は最低時給などはどのように考えればよいか。週に何時間以上働いているドライバーには社会保険加入が必要になるだろうか。

こうした問題に対してUberが対応しなければならないということは、それによって直接的に生じる賃金増や社会保険料といったコスト増に加えて、労務管理のための人員を雇用したり、または外部に委託したりする間接的な管理コスト増を導く。

UberやAirbnbは評価サービスを提供している

それでは、そこまで議論を呼び起こすUberとは何を提供していることで価値を生み出しているのだろうか?そして、なぜこれまでUberのような仕組みが成り立たなかったのか?

これはインターネット以前の社会においては、ユーザーがドライバーの質を評価し、他のユーザーにその信用を伝える評価の仕組みが成立しなかったためである。

UberやAirbnbにはホスト・ドライバー側とユーザー側が互いに評価しあって、そのコミュニティにおいて「真っ当な人」であるかどうかを記録する仕組みがある。

これによって、それらのアプリ利用者はホストやドライバーが真っ当にサービスを提供しているかを誰でも把握できるようになるし、ドライバーはユーザーに評価されてしまうため、粗暴な運転や乗車拒否、不当請求など白タクに起こりがちな気分を悪くするような行為は起こりにくい。

その意味において、昔の日本で見られたような白タクや粗暴な運転手らによる横暴は起こる可能性がUberを使うことで発生する可能性が高くないのである。

もちろん、高い評価があってもドライバーが時にユーザーを害する行為に走る可能性はゼロではないが、その後、仕事には二度と就けないであろうことを考えればそういったことはできないであろう。

普通のタクシーもクレームをつけることはできる。それは座席の前に設置されているマナーカードの記入に寄ってである。しかし、Uberのほうがよっぽど簡単にアプリから評価をすることができるし、決済が完了すると評価をすることはほぼ義務的に依頼される。

だから、一般的なタクシーの運転手よりもよっぽど評価される機会は多いのだ。

Uberとグローバル・ウェルス・チェーン

Uberは我々に便利なサービスを提供する良いプラットフォームでありながら、我々の気づかないところで利益を掠め取っている悪いプラットフォーム企業でもあるのだろうか?

経済学的に考えれば、社会全体で増えたユーザーのメリットとドライバーが得られるプラスの厚生、そして既存のタクシー業界が淘汰されてしまう際にそれらがなくなることによるマイナスの厚生を比較した時にどちらが社会的に望ましいか検討することになるだろう。

今の所、Uberが市場で高く評価されている一番の理由は、その法的な曖昧さをうまく利用することで従来型のビジネスでは負担することが当然だったコストを負担しないことに大きく依存しているといえる。

しかし、それでもUberが利益を出している優良企業であるとも言えないところがその曖昧さ、指摘することを難しくしているところがあることも指摘できるだろう。

例えば、IPO前のUberの時価総額の予想は1,000億ドルから1,200億ドルであったが、2021年10月29日現在に置いて時価総額は約840億ドルである。そして、現在までUberは利益を計上していない。

Uberのドライバー(パートナー)が労働者または被雇用者とみなされるのなら、税金、雇用者の義務、業界の規制、労働者の権利を守るためのコストを支払わなければならない。

この曖昧さから価値を生み出している間、その法的な不安定さと共存するのだ。適切なパブリックコミュニケーションを行うことによりそのリスクを回避する努力をしているが、やはり脆弱な法的偶発性に大きく依存することにもなる。

Wigan, D. (2021-02-02). Uber Global Wealth Chains. In Combating Fiscal Fraud and Empowering Regulators: Bringing tax money back into the COFFERS. : Oxford University Press. Retrieved 5 Nov. 2021, from https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780198854722.001.0001/oso-9780198854722-chapter-11.

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