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カルチュラル・コンピューティングー文化・無意識・ソフトウェアの想像力|土佐尚子著

 

この本の対象読者
  • メディアアートに関心がある人の入門書として
  • 落合陽一さんのアート作品に興味がある人
  • コミュニケーションについて深く知りたい人

カルチュラル・コンピューティングの発見

カルチュラル・コンピューティングとは何か?|思考・記憶をサポートするメディア

コンピュータは日常生活に様々に組み込まれています。

その中でコンピュータは歴史や文化の記録メディアとしてアーカイブする用途で用いられることが多いと考えられますが、それでは今日のコンピュータの能力を十分活用しているとはいえません。

また、日常的にコンビニに行けば中国や東南アジアの方が働いています。

グローバル化が進む中で、異なる文化的背景をもつ人々と関わる機会もまた増えて、自身の文化の歴史や異文化への理解が求められているのが現代社会なのです。

カルチュラル・コンピューティングとは文字情報だけでは文化を理解することはどうしても正確さに欠けてしまうが故に、文化の理解にコンピュータを用いる試みです

筆者の作成した作品に『ニューロベイビー』という作品が紹介されています。

ニューロベイビーとは仮想世界のキャラクターと現実にいる人間と感情を介したコミュニケーションが出来るコンピュータキャラクターです。

昨今の人工知能において、Microsoftのりんなように人間との対話研究が盛んですよね。

相槌や脈略のない自然な会話に近い対話ができるようになりつつあるものの、基的には予め決められたやり取りに乗っ取る会話しかできません。

しかし、本来の会話がもっと生き生きとした、自由で楽しいものであるはず。筆者はその考えに基づき『ニューロベイビー』を制作したといいます。

この作品は、赤ちゃんのようなコンピュータキャラクターにユーザーがはなしかけると、その抑揚に応じて泣いたり笑ったりするというものです。

情報のやり取りを目的とした会話ではなく、感情のやり取りを目的とした会話を目指していたという意味で、当時の研究者の盲点を突いた作品として高い評価を得ました。

また、筆者はアートにおけるインタラクティブ性は自己主張や気持ちを伝えるといったレベルに落ち着いていてはその価値は低く浅いものにとどまる。重要なのは他人に対する菩薩心や利他心を持った相互作用であり、それが実現できれば、他人と高い精神性を深く共鳴しあうことができるということでであると指摘しています。

文化の型がコミュニケーション技術になる

日本文化の民族的記憶を支える型、構造や関係性の分類を松岡正剛氏とともに分類しています。

  1. 日本の自然風土
  2. 日本文化とアジア文化との関係性(アジア文化を取り入れた日本独自の方法)
  3. 神仏習合
  4. 日本語の特性
  5. 日本的デザイン

これらの考え方をベースとしてコミュニケーションのための日本文化のさまざまな民族的型に取り組んでいくことができると論じます。

メディアアートの分類とカルチュラルコンピューティング|感情をコンピューティングする

この章では筆者が作り上げてきたアート作品をそのコンセプトや具体的な内容をご紹介。

メディアアート・文化・芸術の6つの分類

メディアアートを筆者のアーティストとしての経験をもとに分類しています。

  1. コミュニケーションに関するメディアアート
  2. 機械やロボットに関するメディアアート
  3. 物語性を導入したメディアアート
  4. 環境や都市デザイン、建築に関するメディアアート
  5. ナノテクノロジーやバイオテクノロジーを使ったメディアアート
  6. IT技術と伝統文化を融合したメディアアート

これらのメディアアートを文化に応用するにはインタラクティブアートとしてわかりやすく、どんなユーザーにも伝達することが重要であると指摘しています。

ノンバーバルインターフェイスは図形・色・動き・雰囲気・音楽・声質・表情・感性といった言葉以外のメッセージによって、コンピュータとインタラクションするためのインターフェイスである。筆者はその中でも感情に注目した研究を行っています。

現代は五感をテクノロジーで再現するリアリティを追求しがちな傾向がありますが、筆者は文化的なアプローチを取り入れることが良いのではないかと考えています。

音声から感情を認識・生成する《ニューロベイビー》

コンピュータを使った意識や擬人化に関心を持った筆者はニューラルネットを用いた表現を模索しています。

ニューラルネットは現在はニューラルネットワークと呼ばれ、機械学習のブレイクスルーとなった技術です。脳のニューロン(神経細胞)を模して、相互に連結された巨大ネットワーク上に学習させ、解を出すモデルです。

具体的な技術については書籍を参照していただければと思いますが、ニューロベイビーに用いられた処理プロセス及び、感情認識のニューラルネットワークについては以下の図のとおりです。

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ストーリーをコンピューティングする

筆者はカナダの語り部(ストーリーテラー)に出会い、コミュニケーションにおけるストーリーの重要性に注目しました。

語り部が語り始めると、場所の雰囲気がジワジワと彼女が物語る空間へと変わっていくという現場を共有して、誰しもがその物語空間へ没入していきます。

その連帯感は一つの大きな共感に繋がり、大きなエネルギーとなり、互いの連帯感を高める。このストーリーを解明して、コンピュータ上で人を心から包み込む、上質なインタラクションを作ろうと決意したといいます。

そして、人間とコンピュータが詩を読み合う《インタラクティブポエム》、ツッコミをコンピュータが行う《インタラクティブ漫才》、観客がロミオとジュリエットになり、他のキャラクターとインタラクションをする《インタラクティブシアター》という作品を制作しました。

ストーリーと聞くと、神話やおとぎ話を思い浮かべますよね。

神話を聞くということで民族の生い立ちや文化の成り立ちを学ぶことになるのです。

長い年月を経て生き残ったストーリーは人間としての基本的な道徳、モラル、善悪の見分け方などを教えます。

例えばドラゴンクエストやファイナルファンタジーのようなゲームにおいてもこのファンタジーは使われているが、面白いのはこの神話やおとぎ話、それぞれの国の文化によって物語の状況は違えど、大まかな文脈は似ているところがあるのです。

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笑いを喚起するコンピュータ

笑いはその国に根付いたローカルな文化だと指摘しています。

確かに東京の芸人と大阪の芸人の笑いは違うなと思います。当然、イギリスのコメディーと中国のお笑いは当然違うので、翻訳しても笑処がわからないでしょうね。

筆者は漫才というスタイルの「のり」と「ツッコミ」を研究し、コンピュータが人間にツッコミをかけて、笑いを喚起するインタラクションを生成しました。

実際に体験してみないと感覚がわからないのが残念だが、日本のお笑いのスタイルは海外では通じないので、実際に海外のお笑い芸人に現地の人が笑えるような内容に変えてもらったところ、笑いを取ることができたといいます。

GC芸人の感情モデルと認識モデルは以下のような形です。

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文化をコンピューティングする

筆者はこの章において、情報についての重要な指摘をしています。

情報学という分野が、工学から分裂して成長しています。しかし、まだ扱っている情報は量の情報です。つまり、情報の量を整理するためのインフラです。情報には、感性情報や文化情報といった情報の質を表す「意味の情報」があります。そろそろ「意味の情報」を取り扱うことが必要です。

これまで高額は、情報の質を取り扱うときには、グローバルな世界の中で共有する部分だけを取扱、はみ出たローカルな部分を捨ててきました。しかしながら、このローカルな部分にこそ、それぞれの国の特徴がある文化情報が宿っています。

特に面白いのは、サーバースペースにおける異文化コミュニケーションに関するエージェントの研究では、そのエージェントが文化的タブーを犯した場合のほうが、密度が増しコミュニケーションが円滑になるという結果があるということです。

もとの論文を一度読んでみたいですが、外国人が明後日の方向から投げ込んでくる日本語に場が和むことがあるのはそのうちの一つと言えるのでしょうか。(違うか)

コンピュータによる山水禅《ZENetic Computer》

コンピュータで山水禅を表現するというのはどんなものなのでしょうか。

筆者は物語研究の申請でJSTさきがけの「相互作用と賢さ」という領域研究において山水の精神を物語る研究を始めていたところ、MITのCenter for Advanced Visual Studiesの芸術家フェローに採用され、ボストンに向かったといいます。

しかし、その土地の自然条件、そこに存在する人々の精神や観念がつくりだす空間がが文化を形成するとすればボストンという土地で日本の山水禅を研究するというのは難しいことです。

それでありながら、東洋的・日本的感性をコンピュータディスプレイ上に投影するとともに、見る人が日本の墨絵の世界に投入できるようなインターフェイスをつくる研究に没頭しました。

詳しい作品の説明については書籍をぜひ御覧ください。

文化を工学的視点から見る|文化・無意識・ソフトウエアの想像力

文化に接するには、結局の所その国を訪れる他ありません。

書籍を通して学ぶ情報も、言語の壁と同様、その出版物自体が特定の文化の条件で記述されている以上、正確な文化の理解は困難です。

筆者はここで、各文化が持つ独自性を保持しつつ、かつ国家の壁を超えて、異なる文化に真に触れて、それを理解できるような仕組みは可能かという問いを立てています。

そして、この複雑な現代に置いて、文化人類学のモデルで見る方法、構造主義で見る方法だけでは成りず、文化を工学的視点で見るカルチュラルコンピューティングにこそ、それを打破したコミュニケーションの可能性を示唆していると論じます。

コンピュータの工学的歴史からみるカルチュラル・コンピューティング

筆者は「なぜ、コンピュータが文化に向かうのか」という説において、工学の歴史から見たカルチュラルコンピューティングについて論じています。

まず、グレゴリー・ベイトソンによる「サイバネティックス」はノーバート・ウィーナーとフォン・ノイマンとのセッショにを通して、システムを以下の形式で捉えます。

  1. メッセージ
  2. コミュニケーション
  3. 情報
  4. フィードバック

このサイバネティックスは通信・制御・システム・生理などの分野を総合的に捉える化学として注目され、特にフィードバックという現象の仕組みを明らかにした点が大きな功績です。

次に、「人工知能」です。人工知能はコンピュータに推論・類推・判断などの人間の知的処理を行わせるものです。人間の知的処理は論理的であり、その処理の過程はプログラム化が可能であるという見方から研究が進められました。

確かにエキスパートシステムや、将棋やチェスのコンピュータ・プログラムは人間を上回る判断を可能にし、実際に実用化されましたが、その一方で限界も明らかになってきました。

現在では「特化型AI」と「汎用型AI」という2つに分類されていますが、前述のエキスパートシステムなどは特化型のAIです。研究を進めるうちに記述が可能であり、プログラムに直接変換できるものは極めて論理的な処理に限られることがわかりました。

人間は「常識的判断」「直感」「感性的判断」「読み」などの知的処理も行っていますが、この処理をなぜ行ったのかについて、自身が明快に言うことはできません。

現実はまさに多様であり、データを集めることが困難です。その背後に「常識」や「教養」や「文化」などの知識があり、これらが複合的に処理を支えていることが明らかになったのです。

ここで筆者は今後の人工知能研究は2つの方向から進める必要があると指摘しています。

一つは、論理的な処理から徐々に非論理的な処理へとアプローチする方法、もう一つは、「感性」「常識」「直感」などの非論理的な処理にアプローチする方法です。これらが文化と密接に結びついていることからカルチュラルコンピューティングが新しい人工知能研究となりうる可能性があるのです。

最後に、「人工生命」という分野があります。これは生命現象をコンピューティングによるシミュレーションで再現することです。

人工生命の問題も生命現象をあまりに単純化して考えてしまったがゆえに、最近では話題に上がることも少なくなっているようです。

人工生命の研究はカルチュラルコンピューティングにおいても多くの示唆を提供しますが、極めて多様な文化的現象のごくごく一部を表面的に扱ってしまえば、それはカルチュラルコンピューティングとはいえないのです。

まとめ

土佐尚子さんの「カルチュラル・コンピューティングー文化・無意識・ソフトウエアの想像力」を通して以下の点を学びました。

  1. 工学が文化を扱うことにより新たなメディアアートの視座が広がる
  2. カルチュラル・コンピューティングは文化の理解にコンピュータを用いる試み
  3. 人工知能研究の非論理的処理についてもっと知りたい

 

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