自分の弱みや欠点を認めるのはつらいこと
今の自分に何の不安もなければどんなに幸せでしょうか。
自分が弱いなと思うところに、「人からの指摘をすぐに受け入れられない」ということがあります。特に自分が悩んでいたり、うまく行かなかったときに自分のできていない点をに気付かされるとすぐに改善できないのです。
今、アメリカのシリコンバレーで起業家養成のコースに通っています。そこにはたくさんの国から起業家を目指して、面白いアイデアや技術を持った人が集まっています。そういった人の中にも人の意見を聞かなかったり、自分の価値観を押し付けたりする人がいます。
そういった人は当たり前ですがだれからも尊敬されません。自分ではリーダーシップを取っているつもりでもすぐに他の人に指摘されます。日本では陰でコソコソ言われるのですが、さすがアメリカ、納得が行かない点は直接指摘します。
そのため、私は時々空気がちょっと気まずいと思うこともしばしばあります。でもそれはこれ以上我慢してストレスを溜め込んだり、グループワークができなくなることを防ぐという意味で自分のためでもあるのですよね。
人の意見を聞けない人というのは一見自分に自信を持っているようですが、実際は自信がないからこそ都合のいい事ばかり聞くのです。
自分のことをちゃんと見つめて、いいところも悪いところも、できることもできないこともしっかり認識できればそんな人間にはなりません。
自分の欠点がわかるというのは苦しいことです。
目を背けたくなりますし、実際向き合うのがしんどい。でもそこから逃げなかったからこそ少しだけ自分の目指す人間に慣れるのだと思います。
自分のためになる指摘は時間をかけてでも身にする
指摘やアドバイスと言っても、誰に言われるかはとても重要です。自分が求めていないときに攻撃的に投げかけてくる言葉や、全くもって自分のためにならない指摘は聞かないべきです。
しかし、自分にとって痛い指摘でかつ解決のための方向性を示してくれており、それを自分は変えたいと願うのであればその指摘は大切にすべきです。
たとえその時は苦しくても、自分でもこうすれば確かに進歩すると思えるのであれば食らいつきましょう。今は直視できなくても確かにその指摘が最もであるならば少しずつ受け入れなければ進歩はありません。
それでは耳を傾けるべき、いい指摘と悪い指摘は何が違うのでしょうか?
- 成果物に対して「ここを修正すればよくなる」と具体的に指摘しているもの
- その時々において適切なフィードバックのみがされるもの
- 「そういう態度だからいけないんだ」と人格を否定するもの
- 指摘するポイントが的はずれなもの
- あまりに曖昧でかつ、その分野の経験や知識がない人からのもの
近しい人へのアドバイスではついつい感情的になってしまったり、関係ないことまで話してしまいがちなので注意が必要です。そして、関係によっては冷静に捉えることが難しいため、第三者から指摘をされたほうが本人にとって受け入れやすことがあります。
例えば、仕事の質に対してフィードバックを受けた際は可能な限り、修正することが自分のスキル向上に役立ちます。その際に自分はそのスキルを伸ばしたいと考えていることが前提です。
自分が変えたいと願うことは辛くても向き合う
最終的には自分が変わりたいと願うことが自分を変える・成功させる一番の力になります。自分がこうなりたいと願うときに一歩踏み出すことはとてもむずかしいですが、実は一歩目が一番エネルギーが必要なのです。
自分の作品に対してコメントを受けた際は、なぜこの人はこういう指摘をしたのかを一つづつ考えてみましょう。その上で、自分が納得できる指摘とそうでない指摘を分類します。
まずは自分が納得できる指摘はすぐに改善するべきです。これは自分の力だけで行う必要はありません。むしろ、人の力を借りてもっと良くする方法を探しましょう。指摘した人に助けを求めるのは一番いい方法です。
指摘だけして一緒に考えてくれない人はあなたのことを大切にしていないので、その指摘だけ頂いて他の人に助けを求めるべきです。
そして、それらはすぐに実践しましょう。
一度、指摘されて傷ついたからと言ってそのまま眠らせてしまうと一歩も進歩しないまま、永久に誰にも認められない人生を送ることになります。せっかくの人生なので毎日楽しく過ごしたいですよね。そのためには自分が少しでも変わる必要があります。
だからこそ、ベッドに入る前に一つでもすぐ実践することが大事です。一日一歩進めば気づいたときには大きな違いになって、成功や幸せを呼び込む可能性がまた一歩増えていきます。