アントレプレナーシップに関する心理学研究について
アントレプレナーの心理学についての論文レビューの続き
起業家精神(Entrepreneurship)研究は米国にて盛んに研究されている。今回は2014年に「Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior」に投稿された論文をご紹介している連載の第3回である。
Michael Frese and Michael M. Gielnik, The Psychology of Entrepreneurship, Annu. Rev. Organ. Psychol. Organ. Behav. 2014. 1:413–38
本論文では既存のアントレプレナーシップの心理学についてのレビューを実施している。主に発表されている起業家精神に関する研究のメタ分析を行っている。
さて、前回の続きになるが今回は「産業組織心理学におけるアントレプレナーシップ」と「起業家に求められる知識」について取り上げている。
起業家精神における心理学的構成要素と研究
産業組織心理学におけるアントレプレナーシップ
起業家精神を研究することは、産業組織心理学(I/O psychology)に役立つ。
第一に、起業家精神の研究は、最初の売上、組織の立ち上げ、組織の成功など、新しく重要な(そしてしばしば非常に客観的な)従属変数を提供すること。第二に、起業家の状況は、予測不可能で複雑であり、起業の過程で要求が変化するという点で、しばしばユニークであることである。このことは、例えば楽観主義に関しても現れる。
起業家がアイデアの実現性や成功を信じるためには、楽観主義が必要となる。その一方で、楽観主義は、特に予測不可能で非常に複雑な状況においては、過剰な拡大や欠陥のある予測につながるため、否定的な結果をもたらす可能性がある。
第三に、組織の重要な機能は、従業員がどのように行動するかの基準を設定することである (そこには、整合性、均一性、適合性を求める本質的な傾向がある)。しかし、組織の設立当初の数ヶ月間や数年間はそうではない。そのため、産業組織心理学にとっては、新たな機会を得ることができる興味深い状況であるためである。
以下では、これまでに研究されてきた重要なコンストラクトをすべて取り上げるのではなく、伝統的な心理学的コンストラクトのうち、起業家の仕事に関連しているために起業家精神の領域でも研究しやすいものに焦点を当て紹介する。
起業家の認知的能力について
起業家精神は、特にその初期段階においては、大きな不確実性と高度に複雑なタスク要求を特徴とする(Markman 2007, McMullen & Shepherd 2006)。
起業家は、発明家、投資家、会計士、ファシリテーター、組織変革の専門家、リーダー、技術者、マーケティングの専門家、トップセールスマンとして行動する必要がある。
そのため、起業家が持っている知識やスキルは多ければ多いほど良い。
また、知識が不十分なために行動を起こさなければならない分野も多くある。そして、成功の可能性が過大評価しがちであるとも言える。そうでなければ、知識やスキルが圧倒的に不足している起業家は立ち上げを進められなくなってしまう。
そのため、アントレプレナーシップの心理学的研究においては、知識、実践的知性、そしてバイアスやヒューリスティック(自信過剰/楽観過剰)に注目する。これらはすべて認知的要因である。
起業家が自分のタスク状況に対処するための動機付け/感情的アプローチについても論じる。具体的には、目標やビジョン、個人的なイニシアチブ、情熱、感情などが挙げられる。
起業家精神における認知的要因
知識(Knowledge)
知識は「人々が新しい情報をどのように知覚し、統合するかを決定する認知的および精神的な構造を提供する」ものである(Fiske & Taylor 1984)。
そして精神構造は、新しい情報を解釈し、理解する(意味を与える)ための枠組みを提供する。起業家精神においては、新しい情報を解釈・理解することが、新たなビジネスチャンスを発見する上で重要であると指摘する学者もいる(Mitchell et al. 2007)。
Shane (2000)は、人々の予備知識が、新しい情報の解釈に影響を与える心の通路を作るという証拠を示している。起業家たちは、同じ情報(例えば、新しい技術的な発明)を、事前の知識に基づいて異なる方法で解釈し、その解釈の違いが異なるタイプのビジネスチャンスの発見につながったことを紹介している(Shane 2000)。
また、起業の成功には、一般的な知識よりも、起業の課題に関連する分野の具体的な知識(業界や経営者としての経験など)が重要であるとされている(Unger et al.2011)。特に重要なのは、Ericsson & Lehmann (1996) ((Ericsson, K. Anders, and Andreas C. Lehmann. “Expert and exceptional performance: Evidence of maximal adaptation to task constraints.” Annual review of psychology 47.1 (1996): 273-305.))が表現した意味での専門知識であり、起業における優れたパフォーマンスにつながる(Baron & Ensley 2006, Unger et al. 2009)((Unger, Jens M., et al. “Deliberate practice among South African small business owners: Relationships with education, cognitive ability, knowledge, and success.” Journal of Occupational and Organizational Psychology 82.1 (2009): 21-44.))。
起業に必要な知識があることがビジネスの成功に役立つことは間違いない。
必要な時に必要な専門家を頼ったり、ちょうど今実施している政府や地方自治体の補助金や助成金に応募したりすることは、アンテナがあるからできることであり、そのような知識を持つものが有利に事が運ぶ。
しかし、この知識とは起業家精神研究においては何を指しているのだろうか。Unger他(2009)を少し読んでみたい。
先行研究では、中小企業における機会の認識と成長との間に正の関係があることが明らかになっている(Davidsson, 1991)。このように、中小企業の経営者は、起業家と同様に、成長を実現するために、新製品や新市場を開拓したり、新たなビジネスチャンスを活用するプロセスに取り組まなければならない可能性がある。
知識はそのような作業を容易する。知識は、価値あるビジネスチャンスを認識し(Shane, 2000; Simon, Houghton, & Savelli, 2003)、評価し、初期のアイデアを新製品やサービスに発展させるオーナーの能力に影響を与える(Ravasi & Turati, 2005)。
一方で、認知的な限界や知識の専門性の欠如は、個人が特定の機会を見極めることを妨げる(Shane, 2000)。潜在的な機会を発見した後、曖昧さや不確実性に直面したとき、関連する知識があれば、経営者はより良い判断を下し、より知識のある行動をとることができる(Minniti & Bygrave, 2001; Reuber & Fischer, 1999)。
最初の直感から新製品の発売までのプロセスには、オーナーが重要な役割を果たす学習プロセスが組み込まれている。要約すると、継続的な学習と新しい知識の獲得は、中小企業の課題達成を成功させるために特に重要であると考えられる。
ビジネスを管理し、ビジネスチャンスを認識して行動するために経験的に獲得した知識(Reuber & Fischer, 1994)は、以前、起業家的知識と呼ばれていた(Politis, 2005)。
専門家の研究から得られた意図的な実践という概念が、ビジネスオーナーがどのようにして継続的な学習と関連する知識の獲得というタスクを達成するのかについての理解を深めるのに役立つと考えている。
バイアスとしての知識
知識と経験に関する他の研究と同様に、経験の不利点もあるかもしれないという。
例えば、Ucbasaranら(2009)は、経験豊富であることは、過去にうまくいったヒューリスティックや意思決定の近道に頼りすぎるなどの負債につながる可能性があると主張している。
経験豊富であることは、少ない情報から多くのことを推測したり、慣れ親しんだものに縛られて既知の範囲を超えて考えることができなくなったりする傾向がある(Westhead et al. 2009)。同様に、Gielnikら(2012b)は、経験が認知的な固定性につながり、新しい情報の統合を妨げ、ビジネスチャンスの識別を阻害する可能性があると主張している。
知識は、情報を解釈するためのメンタルモデルを提供するが(Fiske & Taylor 1984)、これは、経験豊富な起業家が「心のマンネリ化」(Shepherd & DeTienne 2005)に陥る可能性があることを意味し、認知的な塹壕化、固定観念的な思考、新しい情報の割り引きなどの悪影響を及ぼす。経験豊富な起業家は、自分の先入観と一致しない新しい情報を無視し、状況が変化しても過去の経験に頼ってしまう(Parker 2006)。
その結果、経験豊富な起業家は、新しい情報を利用したり組み合わせたりすることを控え、ビジネスチャンスの識別に悪影響を及ぼす可能性がある。Ucbasaranら(2009)は、経験がビジネスチャンスの識別に与える影響が負になる変曲点があることを示している。
同様に、Gielnikら(2012b)は、経験豊富な起業家は経験の浅い起業家よりも積極的な情報探索の恩恵を受けていないことを示し、経験豊富な起業家は経験の浅い起業家よりも新しい情報を利用してビジネスチャンスを特定する度合いが低いという主張を支持している。
知識は武器となることもあるが、知識があるがゆえに不利益となることもある。
特に業界知識に関しては「これまでこうやってきた」「慣習がある」ということで、現時点の市場におけるパイを拡大することはできるが、市場を破壊し、新たなビジネスモデルを作り出すアイデアが知識からそのまま生まれるわけではない。
とある経営者が新しい運送ビジネスモデルを実現する際に協力者を探していた。金融機関から運輸業界に詳しい経営コンサルタントを紹介されたが、あまりに型破りなアイデアであったため、業界経験豊富なコンサルタントもうまく行かないだろうと考えた。
しかし、結果的には現在もその会社は存続している。
当初のビジネスモデルがそのまま実現したわけではないだろうが、既存のビジネス構造と対立するようなビジネスチャンスを作り出す企業家によるイノベーション(革新)に挑戦し、そして少なくとも会社として存続することに成功した。
つまるところ、言いたいことは経験があることはあくまで今までの仕組みの中での最適解であるものの、新しいことにチャレンジすることに有利となるわけではない。
知識は会社の資産となり、収益の源泉となるという面もある。
しかし、イノベーションのジレンマで指摘されるように、大企業は既存のビジネスを守る必要があるがゆえに共食いしてしまうような新しいビジネスを推進することが難しくなるならば、その知識はイノベーションを阻害する方向にも作用するだろう。
実際のところ、企業の存続を第一に考えるならば、既存のビジネスモデルを模倣するのが最も良い。例えばコンビニエンスストアのフランチャイズに加入したり、学習塾を開いたりするような、競合も多いがその中で生き残れば成立するビジネスである。
一方で、ここでいうアントレプレナーシップが新しい情報を解釈・理解し、新たなビジネスチャンスを発見し、実行することであるならばその新しいビジネスモデルに必ずしも知識は必要とならない。
知識が必要な場面は資金調達や人材採用など主にオペレーションに関わる場面であり、起業家自身に持ち合わせていなくとも、周囲の詳しい人を頼ればいくらでもなんとかなるものが多いだろう。