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利己的な遺伝子を社会的動物である人間に当てはめてはならない

人間や動物は種を残すために進化してきたという考え方はなんとなくロマンチックでもっともらしく聞こえる。ハチが天敵に対して果敢に挑み、針でさすことは自らの命と引き換えである。各個体が集団のために犠牲を払うようにすれば、集団を守ることができるのなら、そうした利他的個体が多い集団がもっとも生き残るだろう。これを「群淘汰」と呼ぶ。

しかし種の利益のために進化するというのは確かに理解しやすい。それは私達がこれまで気づいてきた倫理感や政治的思想と非常に調和するものであり、社会を運営する上でそうあるべきだという我々が持つ価値判断と親和性が高いからである。しかし、リチャード・ドーキンスは次のような衝撃的な言葉を述べる。

私がこれから述べるのは、成功した遺伝子に期待される特質のうちでもっとも重要なのは非常な利己主義である、ということである。

遺伝子の利己主義は個体の行動における利己主義を生み出す。このように聞くと「自分勝手」「自己中心的」といった負のイメージが連想され、道徳的規範に基づいた嫌悪から、こうした主張に対して避難を浴びせたくなるかもしれない。

しかしながら、遺伝子が個体レベルにおけるある限られた形の利他主義を助長することによって、もっともよく自分自身の利己的な目標を達成できるような特別な状況も存在することを否定するものではない。この点は、非常に的外れな批判を受けることが多いようで、ドーキンスは次のようにも述べている。

私は進化にもとづいた道徳を主張しようとしているのではない。私は単に、ものごとがどう進化してきたかを述べるだけだ。私は、われわれ人間が道徳的にはいかにふるまうべきかを述べようと言うのではない。